落合陽一さん出演のこの動画がかなり面白かったので、記事にしてみた。いったんご覧になってみてほしい。前後編あります。
いったん率直な感想だが、このコンテンツをメタ的に見てみたときに、彼のシンギュラリティにあらがう姿勢が素敵だった。
多忙だから資料を作ってこなかったのかもしれないが、彼の環境なら外注でもできるし、用意もできたはず。
私の知っている範囲では、その場の空気を読んで資料を構築していくAIは見たことがない。
というか、その場で一生懸命あたふたするのが人間的だった。
そんな演出が、シンギュラリティについて語るコンテンツの中で垣間見れたから、説得力もあるなあと思う。
さて、私は音楽を作ることが一番得意なので、ディジタルネイチャーと音楽についてはかなり気になっている。本記事でも少し考察していきたいと思っている。
雑多になってしまうかもなので、インデックスごとにつまみ食いしてもらって構わない。
YMOの登場の時とはわけが違うようで、違わないのか
1970年代くらいに、シンセサイザーなるものが登場し、さらにはYMOなどのテクノミュージシャンの登場により、機械と音楽の関係性が後押しされた。
その時に、坂本龍一さんがおっしゃっていたのが、「別にピアノが弾けなくても、音楽のイメージが沸けば、これを弾くために10年も何十年も練習しなくても済むわけでしょう。」という言葉。それまでの人間が弾く時代から、機械が弾く時代になった瞬間でもあった。
しかし当時としては、0から生み出す創造性がなければ機械は動かなかったから、そこをうまく使って彼らは素敵な音楽を作り出した。今回のシンギュラリティはその0から生み出す創造性すらもかっさらって行く存在かもしれないから、ヤバイヤバイと警鐘が何処かで鳴っているんだと思う。
ただ、ネガティブな中にも、いい言葉が動画内にあった。それは「自然のほうが人間よりも賢くなってしまった。人間が追いかけても自然は見つからない。」
動画内で難解だった点の一つなので少し考察してみたい。
まずは動画内の言葉を見ていく。下記は落合さんのおっしゃるディジタルネイチャー。
ディジタルネイチャー:計算機があまねく広く生き、物理世界と計算機の間の障壁が極めてなくなり、計算速度がすごい向上してこの世界のありとあらゆるところで新しい自然としか言いようがない自然が広がること

自然の処理速度は?

ほぼ 無限大

「自然のほうが人間よりも賢くなってしまった」っていう理解でいいんですよね?先生?

そうか!
私なりの解釈だが、「過去には、人間の有限の能力によって自然を体現していたかもしれないが、技術進歩によって、自然が自然を体現するようになっただけ。何も変わらない。」なのかなと思う。
20Hz~20kHz程度しか聞こえない人間が、その都合の良い部分だけを切り取って芸術にしているだけで、もし自然がそれをやろうとするなら、可聴域外も使って完全な音楽をするだろうよ。人間が自然に勝てないのは、身をもって知っているはず。
「サピエンス全史の著者、ユヴァル・ノア・ハラリが人間中心」という話からも分かるように、ディジタルネイチャーを生きるうえでは、人間中心に考えているようではいけないということを、音楽制作側は(もしくは聞く側も)意識する必要があるのかもしれない。
そういう意味で、この先大丈夫なんだと私は理解している。
論破王とディジタルネイチャー
話の中で、「秒で論文が出る」という言葉もあった。
私は読書が苦手なので、いつも本を読め本を読めと口酸っぱく言われてきたのがストレスだったが、
「超情報化社会が構築されて、論文が無数に存在して、査読も難しくなる未来」
が来てくれた日にゃ、Jumpして喜びたい。「それってソースあるんすか?」という論破王の言葉にも反論できる時代が来る。カモ。
AIに詭弁を仕掛けるときに、「ソースあるんすか?」は使えないどころか、挑戦者が裏でAIを使うなんてこともあり得るかもしれない。そうなったら実質AIvsAI。そしてこの先登場するであろう、「仲良くしようよ」と割って入るAI、それにコメントをするAI…。本当にSFみたいな世界だと思う。
定量的に論理を展開して、相手を納得させることがGameの必勝条件だと思うが、それが覆るのがシンギュラリティ?
ちなみに動画内であったツイートは下記。
また、ご自身のNoteにて新聞のコラム貼られていて、これまたいい表現。

難易度高い文章だが、核心をかなりとらえている。
私も、「進化速度を踏み越えて、閑かな健康の美しさ携えたデジタルネイチャーを知覚し、具体的な質量性への憧憬と物化する喜びの中で暮らすこと」を目指してみたいと思った。
機械の持つお財布
機械がお財布持ったら面白いよね、という言葉も興味深かったというか、その発想はなかった。ブレードランナー2049などのようにダイナミックに見せられたりすると現実味がなかったけれど、機械の持つ「お財布」、「小銭入れ」でかなりしっくり来た。
また動画内で「作者が人か機械かなんて、どうでもいいじゃないか!」に加えて「聴いてくれる相手が人か機械かなんてどうでもいいじゃないか!」と述べられたときに
「ここさえ乗り越えられれば」とあった。機械が人間の様々なことを評価する世界だと、音楽業界もかなり変わるのかなと思う。機械が人間の曲を聴く時代。「機械が需要を生むようになったら素敵だよね。」という話も非常に納得できると同時に、ウェーブに乗れない人には何のことかわからず闇雲に警戒してしまうだけなのかなとも思う。
SINIC理論の話
これからはどんな時代になるかという話で出てきた理論、「SINIC理論」。
https://www.omron.com/jp/ja/ir/irlib/pdfs/ar18j/ar18_02.pdf
「社会」がつかずとも自然は成り立つ。ディジタルネイチャーってweb3を包括する概念なのかな?ちょっとこの辺はもう少し勉強してみたいところ。
音楽を作るなら歌詞を入れろ、が私の思ったこと
90秒程度の曲を数秒で作る機械に勝てるす術を、人間は持っていない。レコーディングには理論上、実時間がかかる。
また人間は感情的なフィードバックを必須とするので、音楽に対して、音声としてどころか数値や点の集合としか思わない機械に勝負を仕掛けても無駄であると思う。
歌詞に関しても自動生成は可能であるだろうし、メロディを付けて歌ってもらうことも可能であるからその辺も勝ち目無し。
そうとわかったら、より人間味のある思想みたいなもの乗せるのが人間の作る音楽の魅力なのかと思っている。インストゥルメンタルはごめんなさい、オワコン未来がすぐそこに。
結局何なのか
シンギュラリティを恐れて答えを探すべく始めた機械化の旅の終着点が、肉体のせいであたふたするスタート地点である、映画だったらなんともアイロニーな展開は面白い反面、少し悲しい。
つまり、「アナログなんて時代遅れだよオジサン!」と言い放って出ていったディジタル少年はアナログの家に帰るという悲しい世界は個人的に嫌である。
とはいうものの、その往復旅行の旅は有意義なものであったから、変わらない毎日を暮らすアナログおじさんの昔話を、鼻で笑うという構図はあるのかなと思う。
最後に一言。
右目に突き刺さる前髪にさえも、アナログを感じれるようになることが大事?と考えさせてくれる非常にいい動画でありました。
以上。
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